人狼なら何でもいいわけじゃない

何時までも不適切な名前に関する記事をトップにおいておくと、
セクシャルハラスメントとしてコールしますよ、と脅されたので渋々更新。


人狼におけるメタ的要素について考えてみた。
その結果、何やらモヤモヤしたものが、
心中の隅の方に張り付いてしまったのだが、まずは自分なりに纏めを。

人狼におけるメタ的要素には以下の2種類がある。

 a:自分自身に関するメタ的要素
 b:自分以外のプレイヤーに関するメタ的要素

そして、そのメタ的要素が、実際にゲーム中で使われる状況にも2種類がある。

 1:自らの中で推理を導く
 2:他のプレイヤーを説得する

2の場合、メタ的要素の使われ方にも、直接的と間接的の2種類があったりするのだが、
名無し村では直接メタ的要素を使うことが堅く禁じられているため、ここでは考察に入れないことにする。

この区分は、例えば、狼の時に
「いつも色々な可能性を提示する自分が、裏ロジックを組まんがために、
序盤から特定の人に容疑を集中するのは怪しい」
と考え、会議場での容疑の矛先を散らしてみたりするのは、a-2のパターンであり、
「○○は慎重な傾向があるため、狂人であっても初日から動くパターンは少ないのではないか」
と推理を導くのはb-1のパターンにあたる。
勿論厳密性など欠片も無い大まかな区分のため、各区分の定義など曖昧であるし、
境界線も分かり難い(a-1のパターンなど強引な定義が必要だ)のだが、
要は一口にメタ的要素といっても、均一に扱うべきものではないということである。

以前の記事におけるコメントでも書いたのだが、
私は純粋な推理ゲームとしての人狼が一番好きだし、それ(もしくはそれに近いゲーム)ができたのなら何も言うことはない。
ならば、何故このようにメタ的要素を持ち出してきたのか。
それは、やはり一つのコミュニティで人狼を続ける以上、メタ的要素というものが避けられないものであるからである。

「出来得る限りメタ的要素は排除したい」、しかし、「メタ的要素は否応が無く思考に忍び込んで来る」。
プレイヤーが他のあるプレイヤーを怪しいと思う。
その怪しいという思考は言うなれば直感であり、その直感の裏には、
例えば、本当に村人ならばこういう行動はすまい、といったような一般的(客観的)論拠か、もしくは、
この人のこういう行動は怪しい、といったよう、ごく主観的メタ的な推理がある。
この人怪しい、と感じた瞬間に、その根拠がどちらにあるのかを把握し、
なおかつメタ的要素であれば思考から排除しようというのは、おそらく相当難しいのではないか。

メタ的要素を完全に排除してゲームを行うのは難しい。
ならば、一度メタ的要素でいけるところまでいってみようじゃないか。
そうすれば、論理的な要素とメタ的要素の折り合いも見えてくるかもしれない。
それが私がメタ的要素について考え出した理由である。
そして加えてもう一つ。
私は、性根が卑怯な人間なので、ゲームで自分が負けた場合の原因を、
客観的理由でなく、ごく主観的な理由に結び付け、それで納得しようとする傾向がある。
そして、今まではそのメタ的要素に関して、自らの預かり知らぬところとして、
故意に触れないようにしてきたというのがある。
その自分の矮小さに対し、ならば、そのメタ的要素を使って勝てるかどうか試してみやがれ、
という思いも今回のメタ的要素云々には関係してるだろう。

と、ここまで考えてふと思った。
私が好きなのは、純粋な推理と説得のゲームとしての人狼である。
現在私がメタ的要素を持ち出して語っている人狼は、果たして私が好きな人狼であるのか?
もしかして、冷めてきた人狼熱を延命するためだけに、
自らに課題を与えている「ふり」をしているだけではないのか。
そうだったのか、と目の覚める思いというわけではない。
しかし、きっぱりと否定するだけの自信も無い。

人狼なら何でもいいわけじゃない。
私には、私の好きな人狼がある。
もう一度考えるべきだと思った。
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by frisk_tarou | 2005-03-13 16:10 | 人狼:雑文
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