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取立て

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「人から金借りといてえらく強気だな、おい。」

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by frisk_tarou | 2007-01-29 16:04 | 或る光景 | Comments(0)

あどけない話

Chiekoはソーサリアに空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。



「無茶言うなよ。見下ろし型の視点だから空は映らないの。」
「無茶って何よ。見たいものは見たいの!」
見ないと空があるなんて信じられない!」
「無茶は無茶だろ・・・。
でもほら、雨とか雪とか降ってるから
空の存在は一応感じ取れるんじゃないのか?」
「誰かが人為的に水撒いたりしてるかもしれないじゃないの。
あんた、自分の目で見ないものをよく信用できるね。」
「誰が撒くんだよ・・・。
あーじゃあさ、オープニングのムービーで
宇宙に浮かぶソーサリアが出てくるじゃん。
宇宙があるってことは空もあるだろ。
な、どうだ?」
「わたしが見たいのは宇宙じゃなくて空なの。
宇宙と書いて宇宙(そら)と読めとでも言うの?
そんなことしていいのは機動戦士くらいのもんだよ?」
「また訳わからないことを・・・。
んー、わかった。じゃあこのバックパックの中覗いてみろよ。」
「何?バックパックアート?
・・・何も入って無いけど?」
「そう、何も入っていない。つまり空だ。」
「・・・座布団で鼻へし折るよ?」
「・・・。」



元ネタ 高村光太郎『智恵子抄』
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by frisk_tarou | 2007-01-28 03:23 | パロディ・ブリタニア | Comments(0)

好奇心

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*じー*

「見つめ過ぎだよ、お嬢ちゃん。」

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by frisk_tarou | 2007-01-28 01:12 | 或る光景 | Comments(0)

理想のゲームとは?

UO人狼における理想のゲームとはどのようなものだろうか。
勿論、わざわざ前置きするまでもなく、それは人によって異なる。
最早この様な断りを入れることに野暮ったささえ覚えるが、
決して自分の「理想のゲーム像」が
最上と思っているわけではないことを記しておく。
理想とは独りで語るものではなく、他者と語り合うものである。


「同じゲームは2度と無い。」と言われるUO人狼だが、
そのゲームの性格を決定する要素として大きなものが幾つかある。

まずはルール。
これは一番外側でゲームの形を造る器の様なもので、
大まかな方向性はここで決められる。
例えばロジックゲームを志向する場合、
ロジックの存在感が強くなるようルールを規定しなければ、
どんなに司会やプレイヤーが望んだところで、
それは叶わなくなることもある。

次にルールの運用方法。
これにはゲーム外とゲーム内の2つがあって、
ゲーム外にはルールの変更や追加に関する点、
ゲーム内には司会裁量の程度やテストルールの用い方、ダイス・指名権の決定等、
司会の方法論に関わる部分が含まれる。
同じルールであってもそれをどのように扱うのかによっても形態が異なる。
名無し村と人狼ヴィレッジが、元のルールを同じくしながらも
そのゲームの雰囲気を大きく違えているのは、
こちらの要素の方も大きいのではないかと思う。

そして最後にプレイヤー。
ルールやその運用方法によってある程度外枠を形作っても
最終的にそのゲームを性格付けるのはやはりプレイヤー。
先に述べた「同じゲームは2度と無い。」という言葉の多くはここにかかっている。
ロジカルと言われる名無し村だが、決して皆がロジックゲームを志向しているわけではない。
あくまでオープンゲームとして出来るだけ公平であろうとして
ロジカルな要素を基調に置いているのであって、
実際のプレイスタイルは千差万別である。

以上の3点が絡み合い、個々のゲームが性格付けられる。
上記の3点を踏まえるならば、私が語るのは名無し村というフィールドに関してだろう。
さて、毎度毎度長々しい前置きが済んだところであるところの理想のゲームについて。
と見せかけてもう少し前置き。

名無し村のプレイヤーで理想のゲームについて語っているのは、何も私だけではない。
ゲーム後の感想戦等でも発言の端々にその人のゲーム観を見ることが出来るし、
文章としてそのものズバリで表されているものでは
ピピンさんの文章バロックさんの文章(恋人ルールに関する投稿の「発案に際しての基本コンセプト」部分)がある。
前者はプレイヤーとして、後者はルールの作成者としての視点という違いはあるが、
それぞれに自分にとっての理想というものが分かり易く表現されている文章だと思う。
*ピピンさんの文章はSNSの「うおみん」に置いてあるため
  本人の許可を頂いて文末にその転載を付記する。

では私はどういう語り方をしようか。
一つには見学者という視点がある。
ゲーム流れ全体を俯瞰した時、どのようなゲームを面白いと思うか。
この視点からは、プレイヤーとしてゲームを見るのとは
また違った理想の語り方ができるのではないかと思う。
こうしてようやく本題に突入。


●複数回の形勢の逆転がある
何をもって有利不利を語るのかというのは難しいところではあるが、
数の多寡以外にも能力の使用状況、部屋割り、容疑の掛かり方などから見て
それぞれの陣営にとって良い流れ悪い流れというものはある。
その良い流れ悪い流れが単調ではなく、
複雑に交差するゲームの方がその身に豊潤さを湛えているのではないか。
1手で大勢が決してしまうゲームほどつまらないものはない。

●最終的に判断を決する場面がある
●最終判断は客観的に見て同程度の可能性を有する二択である
イメージとしては行く先が2本に分かれていて、
一方を選べば目的地に、もう一方を選べばとんでもない場所に辿り着いてしまうことが
判断する者にも明らかなため、大いに悩むといった感じ。
知らぬ間になんとなく雌雄が決してしまったりサイコロ勝負となるより、
プレイヤーにも勝負所が把握できた方が、
見ている方としても手に汗握る展開となるはず。
判断の具体的な内容としては投票か部屋割り。
最終判断が客観的に見て二択というのは、あまりにも選択肢があり過ぎると
プレイヤーの視点が散らばってしまいゲームの密度が薄くなってしまうため。
真実を追う村側と、偽のロジックを組んで対抗する狼側との鬩ぎ合いが
頂点でぶつかり合って二択という実を結ぶという展開がベスト。
村側が簡単に勝利を掴むのも、狼側のパワープレイもあまり好きではない。

●最終判断をする者は村人である
ゲームの行く末が狼や狂人、祈祷師、牧師といった「能力者」だけではなく
最も情報を持っていない村人によって決定されることで
推理という要素がゲームにおける存在感を増す。
出来る限りゲームの進行にはプレイヤー全員が関わっているのが望ましい。
例外は色々思いつくけど、この形が一番分かり易い。

●理由のある説得が行われる
単に「信じて!」とか「あいつが狼だ!」という言葉よりも、
何某かの理由を以って説得にあたってくれた方が見ている側としても楽しいし、
説得される側にとっても推理する要素が増えるのでは。
やはり人狼は「言葉」が主役のゲームであって欲しい。

●プレイヤーが勝利のために最善を尽くす
勝敗とは別で、例えばプレイヤーの混乱が面白いからと言った理由で
周りから見れば奇妙な言動を行うのは
本来のゲームの面白さを損ねているのでは。
逆に言えば、本気で勝つつもりがあるならば、
どんなに不合理な行動でも私はプレイヤーの意志を尊重したい。
その行動の妥当性の検討は決してプレイヤーの意志の否定ではない。


たぶん書こうと思いながらも忘れてしまっている点もあるので
全てが書ききれたわけではないとは思うが、ざっと挙げてみた。
この中にはルールなんかで調整できる部分もあるし、
また一方でプレイヤーの意志ではどうにも出来ない部分もあるが、
こういうゲームにしたい、と思うだけでも色々と変わってくるのではないかと考えている。

ピピンさんの文章「理想的なゲームとは」
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by frisk_tarou | 2007-01-20 02:27 | 人狼:雑文 | Comments(1)